皆さんは、山口小夜子さんという伝説的なモデルを知っていますか?
既に亡くなっていらっしゃいますが、
あの冨永愛さんも尊敬する日本人モデルの草分け的な存在の方でした。
東洋の神秘と言われ、
エキゾチックで挑戦的で神秘的で、ときに恍惚感のある
あの美しさは一体何から生まれるのか?
私はひとえに彼女の「美への飽くなき探究心」ではないかと思いました。
それが最も象徴的に表現されているなと思ったのが、
小夜子さんのこの言葉です。
彼女はあるテレビ番組に出演したの言葉なのですが
「表現するときに心がけることは?」と聞かれると…
小夜子さんはこんな風に答えました。
「何か心がけるとか 何か意図的なことを排除する
自分をなくす そこから入ることが一番
本質に触れることなんじゃないかなと思います」
ランウェイであそこまでの存在感とオーラを放っている彼女が
(しかも強いメッセージや意思を感じさせる)
「自分をなくす」ことが大事だとおっしゃったことが
とても意外で、非常に興味深いと思いました。
意図を排除するのに、意図が感じられる…
一体なぜそれが成り立つかといえば、
彼女の舞台の裏の努力に尽きると思います。
モデルとしてランウェイを歩いたり、
カメラの前でのお仕事というのは本当に一瞬かもしれませんが、
その一瞬のために、小夜子さんは休日も
感性を磨くための読書、映画鑑賞、観劇などなど
膨大な量のインプットをなさっていたそうです。
(とんでもない美への探究心と好奇心だと思いました。)
また「氷の花火 山口小夜子」というドキュメンタリー映画の中で
小夜子さんはこんな言葉も残しています。
「服が自然にどこかへ連れて行ってくれる。
こういう風に足を出したらいいよ、とか。
こういう風に手を持っていくと、この服はこういう風に見えるよという風に」
好奇心から生まれる圧倒的なインプット、
自分の思う美を探求するために厳しく自分を律する姿勢、
そこまでやりきるからこそ、舞台の上に立ったとき、
「自分を無にして」「服の声」をきき、
自分の魂を開放する事ができるのだと思います。
小夜子さんのことを
「あの世とこの世のはざまのような美しさ」と表現された
カメラマンの方がいらっしゃいましたが、本当に言い得て妙だと思いました。
「本物の美」を追求し、厳しく鍛え上げられてきた魂が
一気に開放され何かに導かれた瞬間を撮影するから
そのように感じさせるのかなと感じた次第です。
分野や表現手段は違えど、
飽くなき探究心からくる圧倒的なインプット、
自分を厳しく律する姿勢、
その上で「自我」を捨て「目的」に身を任せる
この一連の流れこそがプロフェッショナルのあり方なのかもしれません。
そう考えると、なんだか自分もまだまだできることがあるなと勇気づけられますね!
人事コンサルタント
金森秀晃