1日の締めくくりやスタートの時に書く事が多い、日記。
ほとんどの方が一度は書いたことがあるかと思います。
・日々の備忘録として
・出来事からの教訓をまとめるため
・感じたことをつらつらと書き連ねるため
など日記を書く目的は色々ですよね。
先日スタッフと日記談義に花が咲き、それぞれが工夫していることで盛り上がっていました。
スタッフのひとりが
「今でも今日はいいやって書かない日はありますけど、書く頻度というか
日記を書く事が自分の当たり前になったのはZACに入社してからだと思いますよ。」と言っていました。
最初は仕事をもっと活用できるようになりたいと始めたものの
・じっくり考えすぎて書き終わるのに2時間以上かける
・今日は疲れたから明日書こう、を繰り返して結局1か月書かない
・書いたはいいけど仕事になにも活かせてない感じがして徒労感が残る
などの連続だったそうです。
それでも他の人にどう書いてるのかを聞いて試して試行錯誤しているうちに
・日記のタイトル(結論)を最初に書く
・書くフレームを決めて定型化する
・5分経ってもなにも浮かばない時は書かないまたは「なし」と書く
という感じで自分なりのコツが掴めてきたのだそうです。
今では外出先でも思いついたら書けるようにと日記帳を持ち歩くほどになったんだとか。
その中でも本人的に一番効果的だったのが”日記を擬人化すること”なんだそう。
家族や気のおけない友人に話を聞いてもらうと自然と考えがまとまる感じがした経験はありませんか?
感覚はそれと似ていて日記を友人のように見立てて、語りかけるように書くのだそうです。
これは『アンネの日記』の著者、アンネ・フランクからヒントを得たんだそう。
アンネは第二次世界大戦下のユダヤ人迫害から逃れるため隠れ家生活をしていました。
友人とも会えない、晴れた日に外出することもできない、足音も立てられないそんな生活の中、
父からもらった日記帳にキティという名前をつけ友人に見立て、自分の胸の内を友人に話すように日記を書いていたのだそうです。
スタッフは”日記の擬人化”についてポイントをこう解説してくれました。
「アンネは日記を友人に見立てることで、書いている自分、聞いてくれてる友人、
その2人を客観的に見ている自分の3人を作っていたんじゃないかと思います。
単に自分の思いを吐き出すだけではなくて、出来事をどう次への教訓として
解釈するのか客観的な自分が結論をだしてくれたのかもしれません。
それが戦時下でいつかナチスに囚われるかもしれないという恐怖や制限しかない中でも
希望を失わず、精神的に成熟していったんじゃないかと思うんです。」
1人称で自分に陥ることなく
2人称で話してスッキリで終わらすことなく
3人称で未来の自分のために教訓に変える。
せっかく日記をつけるなら
起きた事象をそのまま記録するだけではなく
未来に活かせる教訓を増やせると、今の経験を
余すことなく財産に活用できるかもしれませんね!
人事コンサルタント
金森秀晃