こんにちは!
コンサルティング事業部、バリーこと榊原です。
今日も金森社長ブログをジャックします!
医療、介護の現場で働かれている方々から
・亡くなっていく方に医療人として関わることの意味ってなんだろう?
・本当に役に立てているんだろうか?
と迷うことがあるというお話を伺うことがあります。
僕も祖父の介護をしていた時期があり、なんとなく迷われるお気持ちは分かります。
(専門職としてどうあるべきか?を考えないので、迷いはさほど深くはないのですが^^)
逞しかった祖父が日ごとに小さくなっていくのを
どうすることもできない無力感は、今でも時々思い出すことがあります。
ただ、思い出して悲しくなったりはしません。
それは無力感だけではなかったと思えたからです。
無力な自分だけじゃなく、相手の笑顔もあった!
自分にできることなんてたかが知れていますし、
そこに無力感から目をそむけたい、自分の弱さが見え隠れするのも事実です。
(少なくとも自分は何もしていないわけじゃない、やれることをやっているんだと言い聞かせることが出来ます。
ついでに、仕事が辛くなってきたら「介護しなくちゃ」と仕事から目をそらしたり、
逆に介護が辛くなってきたら「仕事しなくちゃ」と見ないようにすることも出来ました)
日に日に小さくなっていく祖父を見て、
最初はその現実を受け入れることができませんでした。
孫の僕にも厳しかったけど、その分時折見せる優しさを感じられたことや
いろいろな思い出が頭をかすめ、目の前のこの人が祖父だと受け入れられなかった(正確には受け入れたくなかった かもしれません)のです。
歳も歳だし、仕方ないと諦める理由を探してみたりもしました。
そんな日々が数ヶ月続き、いつものように祖父の身体を拭いていると、
ふいに「気持ちがいいねぇ、ありがとう」と笑顔をみせてくれたのです。
その時に、「あ、無力だったのではなくて、自分ができる事を探そうとしてなかっただけだったんだ」と気が付きました。
母(祖父の娘)もケアしている僕を見ると嬉しかったようなのです。
「自分は無力だ」
そう思ったときこそ、
できる事をやり切っているのか?
出来ることをいつも探しているのか?
を自分に問いかけよ、と祖父から学ばせてもらったように思います。
医療・介護の第一線で働かれている皆さんは、
もしかしたら、毎日が無力感との対峙なのではないかなと思います。
患者の家族だった僕の経験談をいつもよりちょっと、いえ大分真面目に書いてみました 笑
何らかのお役に立てましたら幸いです。
秋の足音に昔を思い返すバリーでした。