皆さんは『ザリガニの鳴くところ』という映画をみたことはありますか?
全世界で累計1500万部を売り上げたディーリア・オーエンズの同名ミステリー小説が映画化されたもので、
湿地帯でたった一人で暮らす壮絶な生い立ちの少女を取り巻く物語なのですが、
心を激しく揺さぶられる作品だったので、少しご紹介してみたいと思います。
少し物語の背景を補足すると、カイアにも元々家族はいたのですが、
父親の暴力に耐えかねて母親だけでなく兄弟も次々と家を出ていき
しばらくは父親と二人きりに…
そして最終的には父親も出ていき幼いカイア一人きりになりました。
とてつもない孤独な中、湿地と湿地に生きる生物とともにカイアは必死に生き
少女から一人の女性へと成長していきます。
そんな中、地元の裕福で人気者の青年チェイスが湿地帯で死体となって発見されました。
そこでずさんな捜査と偏見も相まって「湿地の少女」であるカイアが疑われ、
裁判にかけられて… という形で物語が進んでいきます。
この小説が生々しく実感させてくれたのは、究極の自然美。
それが最もダイレクトに伝わってくるのが、
元々この世に「善悪」という概念は存在しないということでした。
「”善悪”なんて本当は存在しない」とはよく言われることではありましたが
私たちはとかく人間界のコモンセンス的なもので
物事を「善悪」で捉えがちなのも事実なので
この「善悪の概念がない」ということの輪郭が
見えにくいところがあると感じていました。
ですが、あまりにも凄惨な環境で、
湿地の自然と一体となっている
無垢な主人公の生き方、捉え方、世界観が
その輪郭を浮き彫りにしてくれたような気がしたのです。
(ネタバレになりますが…)
おそらくチェイスの殺害にカイアが一枚噛んでいることは間違いないのですが
裁判で無罪判決が出た後、テイト(カイアの初恋相手)と復縁し
幸せに暮らすカイアには「一切の罪悪感」が感じられません。
でも、それはサイコパスのような類のものではなく、
カイヤにとっては単なる自然界の法則と習わしに沿った結末だったに過ぎない
というような感覚だったからでしょう。
(生きるために捕食者を排除したに過ぎず、
自然界の日常の一コマのような出来事)
一見、コモンセンス全開の視点で見るとなんともいえない複雑な気持ちになるのですが、
孤独と共存しながら、「美しい自然」も「残酷な自然」も自分の内面に呑み込み、
強く生きていく姿があまりにも美しく感じられ、
不思議と“怖い”という感覚を抱くことができませんでした。
もちろん人間界に生きる以上は
法律は守らねばなりませんし、倫理感も持ち合わせる必要がありますが、
私たちは自然の一部であって、孤独も愛もすべて自然にかえっていくものだと考えると、
かえって都度そうしたものを味わうことの重みが感じられたり、
移ろいゆく中でもそれらを貫くことの美しさに気づくことができるように思いました。
余談ですが…この映画のポスターのキャッチは
「真相は、初恋の中に沈む」。
カイアが沈めたもの、テイトが沈めたものは
それぞれ何だったのか…という余韻が残る
ものすごいキャッチだということに気付かされました…
伏線も描写も映像も、非常に見事な作品なので、
是非一度ご覧になってみてくださいね!
人事コンサルタント
金森秀晃