「6人の盲目とゾウ」の寓話をご存知ですか?
ジャイナ教の伝承では、6人の盲人が、ゾウに触れることで、
それが何だと思うか問われる形になっています。
” 足を触った盲人は「柱のようです」と答えた。
尾を触った盲人は「綱のようです」と答えた。
鼻を触った盲人は「木の枝のようです」と答えた。
耳を触った盲人は「扇のようです」と答えた。
腹を触った盲人は「壁のようです」と答えた。
牙を触った盲人は「パイプのようです」と答えた。
それを聞いた王は答えた。
「あなた方は皆、正しい。あなた方の話が食い違っているのは、あなた方がゾウの異なる部分を触って
いるからです。ゾウは、あなた方の言う特徴を、全て備えているのです」”
というものです。
この寓話の教訓は、真実には様々な側面があり、解釈も様々。
自分が正しいと思っていても、実は全体の一部であり、全体の把握には至っていないケースがあるということなのかもしれませんね。
これは、私たちの仕事や人生、あらゆる場面で遭遇する「問題」との向き合い方にも重要な示唆に富んでいます。
何か問題に遭遇したとき、私たちはつい「目の前の問題」を早く解決したくなり
現象そのものに意識を向けてしまいがち・・・
ですが、そこからちょっと視点を上のほうに引き上げて現象から離れてみると、
その場では見えなかった「真の問題」が見えてくることがあります。
以前、弊社のコンサルタントがコンサルの合間に
先方のメンバー達と談笑していた時の何気ない会話から
そのような経験をしたことがあったそうです。
その法人様では作業動線上にいつも「従業員が転びやすい廊下」があるのが問題になっていたそうです。
機材を持って移動する途中で転んでしまうと、周りに患者さんがいたら不安がらせてしまいますし、何より従業員のケガという問題も発生してしまいます。
滑り止めのテープを貼ったりして対策をしたのですが、それでも一向に転倒事故が減らず・・・
どうやら作業動線の中でも、その廊下部分で時間を短縮したいという意識が働くために、つい小走りで廊下を使ってしまっていたようなのです。
この話を聞いていた弊社のコンサルタントは
”「転びやすい廊下」という問題にだけ意識を向け、
それだけと問題解決しようとしているために「真の問題」を見落としてるかもしれない。”と感じ、
「もともとはどうしたかったんですか?」と問いかけをしたのだそうです。
その転倒しやすい廊下で急いでしまうのは、「早く次の工程に移りたい」という目的があるからです。
だとしたら、機材管理の仕方や保管場所を変えて、問題の廊下を急いで通らなくてもいいように改善するということもできるはず。
そう考え「もしかすると、廊下じゃなくて機材管理の仕方や保管場所を変えたりする方がいい気がしますけどどうですか?」と提案をしたのだそうです。
何気ない会話からヒントを得た担当の方は「確かに!」とハッとして顔をほころばせたそうです、
このように問題だと思っていることが、実は問題ではないということはたくさんあります。
目の前の問題だけを問題だと思って注意を向けていると、
それ以外の問題に気づきにくくなるという傾向が私達にはあるのかもしれませんね。
一生懸命、問題解決に取り組んでいるのに、
何だか上手くいかない・・・
そんな時はいったんその問題を横において
「問題そのものが違うのではないか?」
と疑ってみるといいかもしれません。
人事コンサルタント
金森 秀晃