あまり触れられていませんが、一つ私が非常に気になったことについて今日は触れてみたいと思います。
先日、とあるメディアでこんなことを目にしたのです。
パラリンピックの競技観戦を許された子どもたちが、とてもつまらなそうにしていた。けしからん!
とてもざっくりいうと、そのような内容でした。
この時、私は思ったのです。
「本当に子どもたちは”けしからん”のか?」と。
確かにベストを尽くして戦っている選手たちのことを考えれば失礼極まりない態度であることは間違いありませんが、子どもたちには1mmも責任がなく、むしろ、そういう環境を作れなかった大人の側(つまり教育)に問題があるのではないかと思いました。
そもそも、その問題視された子どもたちは、そのパラアスリートが乗り越えてきた、いくつもの苦難に思いを馳せることができていたでしょうか?
・ある日突然、事故や事件により、身体の機能を失った方
・病気により、体の一部を失った方
・元々障害をもって生まれた方
様々な方がいらっしゃると思いますし、パラアスリート一人ひとりに語りつくせない生き様やストーリーがあるはずです。
これはまだ人生経験の浅い子どもには、想像の及ばない世界だと思います。
ですが、大人がそのきっかけさえ与えれば、その素直な感性で、子どもたちはそうしたところに思いを馳せることができたでしょう。
私たちがついつい「ないものねだり」をしてしまう中で、
「失ったものを数えるな、残されたものを最大限生かせ」という
“パラリンピックの父”ルードウィヒ・グットマン医師の言葉の通り、
パラアスリートたちは「今あるもの」に感謝し、その力を最大限に発揮しているスーパーヒーローです。
もし私たち大人がこうしたことを子どもたちにしっかりと伝えられていたならば、
「なんか障碍がある人たちが頑張ってるな」
というような他人事で上から目線の、つまらなそうな姿勢ではなく、様々な競技を、「困難を乗り越えてきたスーパーヒーローたちが織り成す世界最高峰の祭典」として、胸躍らせて観戦していたに違いありません。
そしてその経験は子どもたちの人生に大きな影響をもたらすことになるでしょう。
そうした意味で、これは「日本の教育のあり方」という意味で、非常に大きな課題であると感じました。
子どもたちのもつ無限の可能性を瞬く間に削減していってしまうような環境になってしまっているからです。
子どもたちの感性を最大限に生かす環境づくり、教育のあり方について私たちは改めて考えるべきときが来ているのかもしれません。
人事コンサルタント
金森秀晃