1.5km泳ぐスイム、次に40kmのバイク、最後は10kmの距離を走るランという、合計51.5kmのサバイバルな道のりから
鉄人レースと称される、トライアスロン。
この競技で日本女子の第一人者である、上田藍選手という方がいます。
身長が155㎝と選手としてはかなり小柄な方なのですが、北京・ロンドン・リオと3大会連続で五輪に出場、東京五輪出場を目指しています。
先日、何気なくニュースを流し見していたところ、上田選手の特集が組まれており
カナヅチなのに数か月の練習で無謀にもトライアスロン(※ミニです)にチャレンジしたことがある私は、おこがましくも勝手に仲間意識を感じて画面に吸い込まれるように目をやっていました。
特集ではこれまでの彼女の競技人生が語られていました。
その中でも特に印象深かったのは、数年前に30代半ばで出場したレースで左肺気胸・外傷性クモ膜下出血・脾臓などの裂傷という大怪我を負いながらも
なんとか4か月後にレースに復帰するも、また別の怪我で再びリハビリ生活を余儀なくされてしまった時のエピソードです。
多くの競技者の場合、ベテランと呼ばれる世代であれば引退という選択肢が眼前をチラついてしまうケースが少なくないように思います。
一方で上田選手は、
「何か悪いことが起こったときというのは、自分に足りないものを教えてくれるチャンス」と捉え、
自動車のギアチェンジのように状況により走り分けができる状態に自らのランを進化させたのだそうです。
ご本人が話している姿を拝見していると、五輪出場選考中ということを感じさせないほど明るく、柔らかな空気をまとっている方だなと感じました。
どのような点でそう感じたかというと、放つ言葉を大切にしているという点です。
ただ単にやわらかな表現を使うとかテクニック的ことではなく、
彼女が言葉を放つ前提として今この瞬間、自らが歩んでいる人生の途中である。
途中である=できるようになっている途中である。
ということが滲み出ていたからだと思います。
この空気感は、ご自身の素養も少なからず影響しているかもしれませんが
大半は修正と継続の賜物ではないでしょうか。
結果が思うように出ないときやリハビリ生活を余儀なくされた時などに
焦りや葛藤、ご自身の恐れなどと対峙しながら 誰も見ていないところで、
在りたい未来を想像し、確証がなくても歩みを止めなかったからこそ得られたものなのかもしれませんね。
「ピンチはチャンス」を体現なさっている生き様に
朝から勇気をいただきました。
人事コンサルタント
金森 秀晃