”時を待つ心は、春を待つ桜の姿といえよう。
だが何もせずに待つ事は僥倖を待つに等しい。”
松下幸之助の言葉です。
以前、弊社のOJT担当のスタッフと談笑していたときのことです。
「私は後輩のためと思いながらも、実は自分の納得感のためにいろいろと教えていたかもしれません」
と切り出してきました。
よくよく話を聞いてみると、
新人が自分が想定していたような変化や気づきを得られなかった時、
すぐに次の選択肢を示したり、ヒントを与え過ぎてしまっていたというものでした。
「振り返ってみると、私は結果が出るのを待ちきれず、後輩がちょっとでも変わって欲しいという自分の欲や、教え方が合っているという納得感が欲しかったのかもしれません。」と担当者は話してくれました。
自分に足りなかったのは”待つ”という育成をすること。
新人さんはできるようになっている途中であるという風にとらえる事で、
現時点で理想の状態になっていなくとも、微細な変化を見いだせるようになると気づいたのだそうです。
「自分が注力すべきは、理想を目指しつつもできるようになるプロセスから変化を見出し勇気づけることだったのに、
できるようになっていく時間を待つことができてませんでした。
教えるというのは何か知識や情報を伝えることだとばかり思っていましたが、待つということも育成になるんですね。」と語ってくれました。
できるようになって欲しいというのは、世のOJT担当全員が願いと言っても過言ではないと思います。
なぜか思うような行動変容や結果をもたらすことができない場合、
敢えて待つということも選択肢の一つとして持っておくといいかもしれませんね。
人事コンサルタント
金森 秀晃