「放下著(ほうげじゃく)」という禅語があります。
 「放下」とは捨てるという意味、「著」は前の言葉を強調する助詞で、「さらに捨ててしまえ」という意味になります。
 とはいえ、誰しもやっぱり損するは嫌ですので、もったいないと執着してしまうのが人間。
 ですがこの執着が、自分自身を盲目にさせ、本当に得たいことを逃してしまっているとしたらどうでしょうか?
以前、スタッフ何人かと談笑していたときのことです。
 「執着することで、危うく本当に大事にしたいものを疎かにしてしまうところでした」と言っていました。
 どういうことかを聞いてみると、
 最近ハマっているお菓子があるらしく、毎日出勤時にそれをコンビニで買い、始業前の準備中に食べるのが日課になっていたそうです。
 (食べると仕事がはかどるのだそう 笑)
 ある日、いつものように買おうとコンビニに寄るとなんと売り切れ・・・
 買えないことでペースが乱れるような気がして店員さんにも聞いたそうなのですが、やはりないと。
 仕方なくその日は食べずに仕事をしたそうなのですが、
 パフォーマンスには遜色がなかったそう。
 「単純に”あれがないとダメ”だ」という風に自分が執着していただけだったんだなと思います」と苦笑いしていました。

もしかすると、お菓子以外のことでも予期せぬことが起きた時にこれまで慣れ親しんだことに執着して
 新しいアプローチが負荷になったり、躊躇してしまう傾向があるのかもしれません。
 やり方を”ただやる”ではなく、選択肢として捉えると、とどまっている時間が少なくなり大事にしたいこと(就業前の準備)を大事にできるなと思いました。と話してくれました。
結婚や転職、入学など大きなライフイベントの時に”人生の節目””選択の岐路に立つ”と称されることがあります。
 しかし、コンビニで何を買うかや顧客に連絡を取るなど生きている限り全てが選択の連続だと思います。
 もし、なにか行き詰まっていることがあった時には、なにかしなくともよい執着をしてしまっていないか、振り返ってみるといいかもしれませんね。
人事コンサルタント
 金森 秀晃
 
 
 
  
  
  
  
  
 