『ギフテッド』という映画の1シーンで、こんなやりとりがあります。
(家族愛を感じてもらう、という唯一の目的のために作られた、本当に素晴らしい作品です!)
夕日をバックに、主人公であるフランク(叔父)とメアリー(娘)がじゃれ合うシーンなのですが・・・
メアリー(少女)
「神様はいる?」
「キリストは神様なの?」
フランク(叔父で父親代わり)
「わからない、でも、いいやつだと思う」
このシーンは最後に
「俺たちは何があっても一緒だ」
といって家族の絆を確かめ合うという物語の鍵になるような場面なのですが、
私は、そのシーンに行き着く途中の、この他愛もないやりとりが、大好きなのです。
想像してみてください。
もしあなたが愛娘にこんなことを聞かれた際に、あなたはどのように答えますか?
もし僕がクリスチャンであれば、「いるよ」と答えたりするかもしれませんし、
別の宗教を信仰していれば「いないよ」と答えるかもしれません。
もしくは、ただ「うーん、どうなんだろうなぁ」とはぐらかしてしまうかもしれません。
でも、フランクは「わからない、でも、いいやつだと思う」と答えました。
(英訳が色々あると思うので正確ではないかもしれませんが)
自分の考えを押しつけるわけでもなく、信仰心を植え付けるわけでもなく、
ただ、“よい教えである”ということだけは伝える。(道は示す)
でも、それを信じたり、選んだりするのは彼女自身に任せています。
手間はかかるし、時間もかかるけれど、
主体性が育まれ、自分が選んだとなればその効力は高まり、
その結果、親からの愛情を後からでも感じることができる。
なんて最高の教育なのだと思いました。
これは彼女の幸せを心から願っていない限りは、きっとなしえないことだと思います。
「正しい道は示す、ただ、何を信じ、どんな行動をとるか、どんな選択をするかは相手に任せる」
これが、教育の本質なのではないか、
その素敵な親子のやりとりを何度もみて、教育に思いを馳せた、独身の金森でした!笑
人事コンサルタント
金森秀晃