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ハリーポッターに学ぶ「信じる力」の重要性

ハリーポッターに学ぶ「信じる力」の重要性

以前、ハリーポッターに登場するルーピン先生のブログ記事を書かせていただいたのですが、
ハリポタファンから熱い反響をいただいたので、
調子にのってもう少しコアなところにも触れてみたいと思います(笑)

突然ですが、みなさんは映画版と小説版(原作)どちらがお好きですか?
それぞれ良さがありますが、私は圧倒的に小説版の方が好きです!

その理由はハリーポッターという物語のおもしろさが
「主人公ハリーの内面の不安定さ」にあると思っているからです。
映画版では、内面の不安定さや葛藤を映像にするのは難しいためか、
そこまで触れられていない印象です。
(映画の時間に収めるには情報量が多すぎるのかもしれませんね!)

その「内面の不安定さ」が浮き彫りになってくるのが
シリーズ後半の不死鳥の騎士団あたりです。
小説版ではハリーがダンブルドアに対して疑心暗鬼になる様子が生々しく描かれています。

簡単に説明すると、
ハリーと闇の帝王ヴォルデモートとの繋がりに気づいたダンブルドアは
ハリーと自分との関係性を悟られて利用されてはいけないと考えたことから
ハリーと意図的に距離をおきました。
(それでもここぞという時にハリーを救ったり、
ハリーにとって必要なことの指示を出していました。)

ところが、年相応に癇癪持ちで愚かさもあるハリーは
(映画版ではかなり従順で大人しくなっていましたね!笑)
「どうして自分のいうことをわかってくれないのだ」
「ダンブルドアはどうして自分に何も教えてくれないのだ」
「自分こそが復活したヴォルデモートと対峙した人間なのに」
という気持ちでいっぱいになっていました。
スネイプ先生と訓練せよといわれた閉心術も中途半端な結果に・・・

「ダンブルドアにはお考えがある」と周りの友人や仲間が諭しても
耳を貸すことができませんでした。

その結果、ダンブルドアのことを信じきれず、友人の忠告もきけず、
自分の見たものだけを信じてヴォルデモートに利用されて(幻影を見せられておびき出されて)
戦闘中に名付け親を亡くす、という事態を招きます。

確かにハリーからしたら「ダンブルドアにはお考えがあるのだ」と信じることはなかなか難しかったかもしれませんが、
おそらくハリーがダンブルドアを信じきれていたら、
犠牲を最小限に、かつ、より早くヴォルデモートを倒すことができたことでしょう。

ダンブルドアの死後も、ダンブルドアの過去の愚行(闇の魔法に傾倒しかけたetc)を週刊誌的なものにばらされて
聖人君子だと思っていたダンブルドアとは違う一面が見え隠れし
ダンブルドアからのミッションやメッセージの意図に確信が持てなかったりするハリーの不安定な心が浮かびあがってきます。

そんな中でも、信じてやりきった先(正確にはやりきる覚悟を決めた先)に、
ダンブルドアの意図がわかってきて、確信をもって敵に挑むことができるようになります。

その過程の迷いや生々しく不安定な心の描写が、
「自分の理解が及ばなくても自分が信じると決めたこと(人)を
信じてやり抜く」ことの重要性を感じさせてくれました。

これは多くの組織、組織に所属する方々の教訓になるのではないでしょうか。

ハリーポッターというとどうしても「魔法」の物語という印象が強いと思うのですが、
実際は「信じる力」と「愛」の物語だと思っています。
今回は「信じる力」の物語というところを語らせていただきましたが、
次回は「愛」の物語についてです(笑)

お楽しみに!

人事コンサルタント
金森秀晃

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